秋田県 大館市御成町

山田桂月堂

創業明治34(1901)年以来、山田桂月堂は伝統の味を守りながら、菓子づくりに精進を重ねて参りました。
白神山地を望み、忠犬ハチ公の故郷としても知られる秋田県北部の城下町大館。
その町に磨かれてきた熟練の技と、培ってきた信用があります。

山田桂月堂のこだわりは、お客様が大館を思い浮かべる「架け橋」となるような菓子づくり。
いままでも、これからも伝統銘菓からキュートな羽二重餅まで、大館の魅力をギュッと凝縮して全国にお届けいたします。

わたしたちの紹介

山田桂月堂120年物語

山田桂月堂の歴史は、大館の町とともにあります。
明治の文明開化は、蒸気機関車の汽笛を響かせながら、白神山地を望む秋田県北部の城下町大館にも訪れました。
旧大館町と旧釈迦内村の境界※に大館駅が設置されたのは明治32(1989)年。
その2年後の明34(1901)年、山田桂月堂は田町で創業。
そして明治40(1907~)年代頃、山田桂月堂は大館駅前に移転。
その後、大館駅の発展とともに菓子店として歩みを重ねてまいりました。

創業当初からの当店の銘菓「明けがら寿」

この菓子は寒氷(かんごおり)に散らしたくるみを、郷土の俳人羽生竹亭が「暁の大空を飛ぶからす」に見立てて名づけた菓銘です。
強い甘味が尊ばれた時代に駅売りの菓子として人気を博し、今でも茶席の菓子やふだんのお茶請けとして親しまれています。

「忠犬ハチ公」をかたどった秋田銘菓「ハチ公諸越」

振り返れば、大正の時代にこんなことがございました。
当店の直近にある大館駅から旅立っていった1匹の秋田犬でございます。
その秋田犬は東京の飼い主に「ハチ」という名で愛され、やがて「忠犬ハチ公」という伝説の主人公となりました。
昭和10(1935)年には銅像となって大館駅前に帰ってきましたが、太平洋戦争の折、供出されてしまいました。
「ハチ公」の銅像が再び、大館駅前に建つのは、昭和も末の62(1987)年のことでございます。
当店には、この「忠犬ハチ公」をかたどった秋田銘菓「ハチ公諸越」がございます。
諸越は、小豆粉を使った干菓子です。

株式会社 山田桂月堂

さて昭和も終わりに近づいた頃、時代はバブルという名の浮かれ世に突入いたします。
バブル真っ只中に、当店は一人の若者を東京に送り出しました。
若者は東京でクリーム大福と出会い、その後、金沢の老舗・落雁諸江屋で修業します。
金沢修行時代に出会った和菓子が、福井の「羽二重餅」だったことが、若者の運命を変えることになるとは。
3年の金沢修行の後、若者は秋田の老舗・菓子舗榮太楼で2年の菓子修行を積み、若き菓子職人となって当店に戻ってまいりました。
ところが、若き菓子職人を待っていたのは、秋田銘菓諸越作りの日々。
そのなかで、若き菓子職人は新商品の開発に胸をたぎらせます。
試作を繰り返すなかで、若き菓子職人の脳裏をよぎるものがありました。
そうだ!羽二重餅だ。
羽二重餅のきめ細やかな生地と柔らかな食感。
そして新作和菓子を創って世に問いたいという熱き想いが、若き菓子職人の頭と手を動かします。同時にほんの一瞬、東京で出会った「クリーム大福」を思い出しましたが、クリームと餅生地との一体感を考えると、新作和菓子は大福生地ではありません。
やはり「羽二重餅」です。ほかには考えられま

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