長野県 上高井郡小布施町小布施
山崎小布施栗園
小布施町は長野県の北西部に位置しています。
千曲川の肥沃な土地と町の上流部に流れる「松川」による酸性の砂礫質土は栗の生育に適しており、江戸時代には栗の名産地として天領地になり、将軍の献上栗として「小布施栗」として全国に名を馳せていました。
当園は、歴史ある小布施町で農業を営んでおり、特に栗栽培は、代々受け継がれており、栗・りんご・ぶどうなどの果樹を中心に栽培をしています。
毎日、畑仕事に精を出しています。
是非、当園で栽培して採れた農産物を、ご賞味してください。
わたしたちの紹介
小布施栗は600年の歴史を持つ言われ、現在ブランド品となっています。
【小布施栗の歴史について】
小布施栗は600年の歴史を持つと言われております。その起源については、さまざまな伝説が残されておりますが、代表的な説に「弘法伝説」があります。
諸国巡業中の弘法大師が小布施に立ち寄ったおり、小布施の名を命名するとともに、地味に応じて栗を三粒まき、これが徐々に増えていったものという伝説があります。
千曲川が流れる肥沃な沖積土と松川がもたらす酸性土壌の扇状地が栗の栽培に適している事は昔から知られていたようです。
江戸時代には、将軍家への献上品として出され、小布施栗は全国的に名を馳せたのです。
天領とされた栗林は全国でも丹波と小布施のニヵ所のみであり、初栗の献上が済むまでは栗の販売を禁止し、栗林に入って乱暴する者は直ちに捕まえるなど、さらに厳しい申し渡しがあり、栽培農家でさえ献上するまでは栗を自由に口にする事は許されなかったようです。
このような事情から当時栗林は留林(とめばやし)、果実はお留栗(おとめくり)と呼ばれていました。
小林一茶の句に「拾われぬ栗の見事よ大きさよ」があり、当時のおかれた状況を風刺しています。
山﨑小布施栗園について
当園は長野県の北西部に位置する「小布施町」で農業に営んでいます。
千曲川の肥沃な土地と町の上流部に流れる「松川」による酸性の砂礫質土は栗の生育に適しています。
江戸時代には栗の名産地として天領地になり、将軍の献上栗として「小布施栗」として全国に名を馳せていました。また、朝夕の寒暖差は美味しい果物の産み出し、この地域は「果樹王国」とも言われています。
当園は、歴史ある小布施町で農業を営んでおり、家族で毎日、畑仕事に精を出しています。特に栗栽培は、代々受け継がれており、栗・りんご・ぶどうなどの果樹を中心に栽培をしています。
是非、当園で栽培して採れた農産物を、ご賞味してください。
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